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社長である自分の紹介をさせて頂くのにブログ風にしてしまうと毎日プレシャーを感じてしまいそうなので、何かいい方法がないかと思っておりました。
今回、私個人が過去いろいろな会(PTA等)で縁をいただいた中で記念誌等に書いた思い出風お祝いの辞や文章で、私自身がアピール出来ればとこのコーナーを考えました。よろしければお付き合い下さいませ。定期的とは言えず突然に増えたり消えたりがあるかもしれませんが気長におつきあい下さいませ。
まず最初は、昨年地元の県立大津高等学校のPTA会長として百周年の記念誌に書いた挨拶文です。
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代表取締役 水津 弘人 |
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ウェルネス萩なる施設のこけら落しを兼ねて企画された「全国高校ラグビー山口地区決勝戦」大津対萩工業高校の試合を見に行きました。
私が大津在学中、2年の時に一級上の先輩達と同級生達とが全国大会に出たのが最初だったと記憶しています。1回戦が静岡県の清水南に楽勝、2回戦は目黒高と当たり10得点したものの大差での負けでした。試合終了後、相手チーム全員が正座させられ監督らしき人が大声を出しているのを目撃した木藤君(最近迄、県大会等で審判をしていた)、こっそり近くで聞いた言葉は、「あんな田舎のボロ高校に2ケタも得点されるとは何たるザマだ。今日の練習中止は撤回。宿泊所まで走って帰るぞ。」とすごい剣幕だったという報告でした。
あれから30年。あちらこちらで知り合った人に「大津と言えば滋賀の御出身?」と何度となく繰り返されたくやしい会話。それが体重差10数キロの大工大附属高と準々決勝での対戦で、アナウンサーをして「押してる、押してる。大津が押してる。」「トライ、トライ。何と大津が大工大附属相手に認定トライだ。」と声をつまらせて絶叫させた昭和58年の大会以降は、北海道でも、東京でも「あのラグビーの大津です。」で通用する様になった。準決勝では大分舞鶴に負け決勝には行けなかったものの我が母校を大いに誇りに思ったものです。
その後の軟式野球部の全国制覇や智の花先生で認知度はもっと上がりました。また数年前に、出張先の車中で耳にしたアメリカNASAに大津高校の科学部の研究が認められたというニュースには運転席で「やったー。」と叫びました。その夜「大津ちゅうのはスポーツだけではないんやなぁ。」と電話して来た大学のゼミ仲間に「あたりメーよ。」と答えた事も思い出されます。
御案内のように県大会では勝てなくて選手や関係者の皆さん、あるいは御家族等、残念に思われたかもしれませんが、過去100年間の歴史からずっと先の未来に続く時の流れの中で生徒達のひたむきさ、情熱、克己心はその子達の輝く自信に繋がると信じています。
「僕には友達と遊ぶ時間が、一週間に2、3時間しかありません。でも平気です。淋しくありません。将来はプロ野球の選手になって、契約金を1億円以上もらうのが夢です。」だれあろう米国大リーグで大活躍のイチロー選手の小学生の頃の作文らしい。特にスポーツの世界では子供の頃からいわゆる英才教育が盛んで、それなりの効果も生んでいる現実もあるし、それを否定する気はない。
記憶力だけの比較に対する論もあるが、ある程度の基礎になる事を覚えておかなければ応用の仕様がないという事も間違いのない真実。それをふまえて、この子達に与えられた3年間に、勉学は当たり前の事として、親のせまい人生観で子を縛りつけ成長の可能性をつぶしてはいけないのだと自分に言い聞かせるのは決して負け惜しみではないと信じているが、いかが?
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大津高校PTA会報
H16.12.2書く
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| いつの頃からか、アルパチーノという映画俳優が好きになり、時々レンタルで観ている。’92年 第65回のアカデミー賞で最優秀男優賞を受賞した作品に、『セントオブウーマン』というのがある。ある名門高校が舞台。三人の生徒が学校長に対して度を超したワルサをし、たまたまその場に居合わせた主人公と学校長の間で物語が進んでいく。「犯人の名を知らせれば大学に推薦。言わずば退学。」と迫る校長。アル氏は盲目の退役軍人の役で、お世話するバイト生としてやってきた主人公とNYへの我儘旅行を通じてピュアな青年の人柄に引かれていく。ラストの人民裁判もどきの大会議場で全教員と全生徒と懲罰委員会の面々に彼は訴える。「人生における選択肢でどちらが正しいかすぐに分かった。でもその道には進まなかった。それが厳しくて険しい道である事が容易に理解できたからだ。今、この場において唯一彼だけが友情の大切さ、友を裏切りたくないという人として最も大切な問題を前に決断を迫られている。どうぞ彼にこのまま旅を続けさせて欲しい。」(彼のスピーチの迫力の数分の1しか届かない語力を許して下さい)そして感動のラストに続いていく。
頭での正と悪が行動に移せるかどうか。親同志で話をしたいですね。
長女が小学校に入学以来14年続いたPTA活動の協力も来春、終了です。
すぐ下の長男、現役3年生の末娘に心から感動しつつ。 |
PTA会報誌
H18.11.17書く
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「二兎を追う者、一兎を得ず」所謂、一意専心、脇見もせずにコツコツと、という格言のひとつである。ある青年が学生時代に「この句には続きがある」という文章を目にした。著者の早稲田大学教授は「『されど五兎追えば、二兎くらい手に入る』という句が続くはず。私はこの考え方を若い諸君に贈りたい」と結んであった。
各人各説、色々な解釈が可能なこの文を青年は、「何でも興味を持って体験してみなさい。良い悪い、好きだ嫌いだ、自分に合う合わないは後で考えればいい」と理解しました。それからは、勉強に対してはそれなりの態度で、他、スポーツもあれこれと、各行事にも積極的に顔を出し、空を飛んだり海底深く潜ったり、話題に事欠かない四十七才を迎えています。
又、十数年前には「数万年前の人類の祖先の壁画に『最近の若い者は動物の泣き真似がへた。肉の噛み方も弱すぎる』という意味の落書きがあったことや、紀元前四世紀のギリシャの哲学者プラトンが『礼儀知らずで言葉使いの悪い若者が多すぎる』と嘆いた」と言う話も耳にしました。以来「近頃の若い者は・・・・・」を人生の禁句にしたのでした。 |
大津高百周年記念誌 続きは次回に |
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さて、私自身が大津高の25期生として通っていた頃の名物先生を思い出します。「天気予報でな、長門大津地域は県の北部でも西部でもない。『所により』ってのがこの地区だ」「君達は『こんにちは』『こんばんは』の区別もつかんのか。いいか、外に出てパァーと手を開く。手相が見えたら昼、見えなきゃ夜じゃ」等々、正誤は今だ不明ですが、当時は「さすが大津の先生」と、皆で妙に感心したものです。
人生には色々なハードルがあります。そんな時には、すべての人に、物に、事象に行き届いた温かい愛をそそいだ金子みすゞさんの後輩であることを思い出して下さい。また時間という存在はいつも若者の味方です。様々な挫折や悩みごとなど、すべて「時」が癒してくれます。笑って話せる時が必ず来ます。臆病にならず、前向きに、それぞれの学園生活、その後の社会人としての日々を過ごして下さるようお願いします。
最後になりましたが、この記念すべき年にPTA会長という大役を頂いたことを衷心より感謝し、大津高等学校のよき校風が、益々磨かれることを念じてご挨拶とさせて頂きます。
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大津高百周年記念誌 H15.9.5書く |
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かわず2首
「古池やかわず飛び込む水の音」
古池は、人類の、あるいは地球という長い歴史の総称。そこに蛙が飛び込んだ。たぶんポッチャーンという音がしたであろう。そして再びシーンと何事も無かったかの様に以前の静寂に戻った。人生80年と思えば、昨年暮に40才になった私はすでに「ポッチ」辺り迄来ている。年上の○○さんは「ポッチャ」迄行ってるなぁ。は、さておき・・・。何億年と続いている時の流れの中で(輪廻を信じる僕ではあるが)現世というほんの一瞬において、一体何が出来るのだろう。残った「ャーン」の間にどれだけプラスの働きが出来るのだろう。
小学から中学生になり、親より友人が大切だと感じ始める前に、親として人生の先輩として、何か記憶に残る企画をと考えてました。諸々の事情で2年間中止になっていた親子キャンプを育友会主催で再開しました。流しソーメン、テントはり、バーベキュー等、僕が想像していた数倍の内容が、お母さん方の応援もさる事ながら、大勢の父上のお陰で無事消化されました。僕達が子供の頃には当たり前であった川での水遊びやいかだ遊びも喜んでくれた様子です。
満足、満足。感謝、感謝。
「井の中のかわず、大海を知らず」これの下の句をご存知ですか。
「されど空の高さを知る」だそうです。知っているのはひとつで充分。あくまで心構え、心の姿勢が問題だという事です。真夜中にお弁当やおでんが食べられるという便利な大都会に住み、一方で人の目を気にしながら比較の世界に居る事が幸せなのか。本当にそれが望みなのか。えてして世間知らず、田舎物のテレとして使われるこの言葉を親同士、あるいは子供と話し合ってみるのも楽しいなと思っております。
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向陽小学校 育友会報
H7.10.15書く
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「元気」と「勇気」というふたつを左右の手に握りしめて、人は生まれる。そして、この2つは使えば使う程、大きくなる。今夏、軟式野球部を全国大会に送る式典で使用しました。あるフォーク歌手の言葉として伝えましたが、彼の名を さだまさし
と言います。昭和49年夏、精霊流しという歌に出会ってからのファンのひとりです。
長崎の原爆の後遺症で悩むおば様のひとり息子、つまり彼の従兄弟の話だという事でした。その後に続いたヒット曲から「女性蔑視だ」「マザコンだ」はては「戦争讃歌だ」と彼そのものとは違う所で酷評されさつつも自分の願いを大切に育て上げた人です。ある日のコンサートでこんな話を聞きました。「映画、長江での借入金が30億円。正直、自分の人生終わったって思った。ある夕方、顔色かえた会計士が『さださん、もう駄目だ。やめよう』って言ってくる
『そうですか。明日ですか』って聞くと、『明日は何とか』と答えてくる。『明後日?』って聞けば、『頑張れば何とか』という返答。『じゃ、とにかく倒れるまで頑張ります。』という会話が何年も続いた。歌を作れど、歌えど、コンサートをやれども利子にもならない。けれど皆さん、今、僕は歌い、おしゃべりをしている。皆さんに伝えたい。頑張れば、心を込めて打ち込めば、なんとかなる。誰かが見ていてくれる。たとえもし本当に、倒れてしまっても、あなた自身の価値そのものに変わりはないのだ」と。オチ研(落語研究会)出身の人だから、おもしろおかしく話されたのだけれど、大きな誤解を受けながらも、日々迎える一日を精一杯に明るく元気にすごされた結果なのだろうと、感動にうち震えながら帰った記憶があります。
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大津高校PTA会報
H15.12.24書く 1回目
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ある時には、宝石の鑑定士からこんな話も聞きました。「鑑定士になるのに2種類の人がいる。ある人は、悪い物を見て、だまされ、たたかれ損をして覚える。もう片方は、良い品、本物を見て育ち『これは悪い』と見破る人。スタートは同じなのに、人生の後半頃にあれこれ活躍しているのは後者が多いように思う。やはり基本に『信じる』という気持ちがあるからなぁ」ってことでした。
愛する子供達に幸せであって欲しい、健やかに育って欲しいと望みつつ、では何を彼達に与えるべきなのか、伝えるべきなのか。お金を含めた現物は、二代続けて持ち続けるのは至難の技といわれる日本の税制の中でふさわしいものかどうか。あるいは、あえて伝えようとしなくても、自分の生きざまを見せていれば、可なのか。教育というものそのものに、百点満点がありえない故に、正解は存在しない訳ですが、ついあれこれと思いを馳せてしまいます。それとも開き直って、みすヾさんの「みんな違ってみなんいい」を地で行けるような精神を体得できれば恐いものはないのだとつっぱってみるべきか。心の基本的な部分では、自分を親にして生まれてくれた事だけでも感謝すべき事なのだとは理解している。やはりこの理解の延長から、甘やかす意味ではなく、ただ愛し、ただ信じ、大きな成長を待つという事が、そしてそれを祈り続ける事が、この国の、そしてこの世界の平和にとって必要な事ではないかと思うこの頃である。 |
大津高校PTA会報
H15.12.24書く 2回目 |
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